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Master's Perspective

肝細胞研究会 ~向かうべき先~

藤原研司
独立行政法人労働者健康福祉機構横浜労災病院名誉院長

<はじめに>

医療の本質は、集団生活をしている人々の身体や心の悩みを和らげ、人間として生きる幸せを守るよう支援することにある。そのため医療者は、肉体的・遺伝的・心理的・社会的要因が絡み合って発生する様々な病態を抱える患者への対応が基本となる。しかし、人間一人ひとりの身体や心の病の複雑さは、遺伝子の人種差、生活環境や実体験の違い、人間観や価値観の多様性などから、現代では加速している。
最近の報道によると、昨年12月に英BBCで放映されたテレビのお笑いクイズ番組で、長崎出身の亡くなったばかりの高齢男性を、‘世界一運が悪い男’として、司会者がとりあげ、広島に出張中に原爆で大やけどを負い、長崎に戻ると、そこでも被爆したと、きのこ雲や本人の顔写真を掲げて述べると“観衆は爆笑”。在英邦人からの指摘を受けた大使館がBBCと番組制作会社に“不適切で無神経だ”と送った書簡に対して、番組の趣旨につき釈明して謝罪の意を示したという。‘地球資源の枯渇’‘核の恐怖’‘遺伝子操作’などが今世紀の科学者の職業倫理に問われる中、‘人間の知性’とは何かが今更ながら疑われる。
 一方、体系的・論理的・根拠を明示する近代科学が、人体の生理学的・病理学的な仕組みを解明し、各種疾病の軽減や撲滅へと向い、新たな薬物療法・放射線療法・手術療法などの医療技術を生み、身体的な病に悩む世界の人々に貢献してきたことは確かであろう。

<肝細胞研究会の歩み>

肝細胞研究会は、昭和60年に肝臓の機能を初代培養肝細胞により解明することを目的に、当時の市原明徳島大学教授により設立された初代培養肝細胞研究会の理念を引き継いで、平成6年から年1回、全国各地で開催されてきた研究会で、大学の医学部・薬学部・理学部・工学部・農学部及び企業研究所の研究者が参加してきた。
設立時は、初代培養肝細胞研究会で活躍した東京工業大学生命理工学部赤池敏宏教授が代表幹事を務め、幹事と顧問が選ばれ、幹事会を設置した。運営規約も定められたが、平成8年に会則へと変更され、年次研究会は、幹事若干名中から互選された会長が主催してきた。
平成12年に筆者が代表幹事を担った翌年に会則を改定した。目的は、肝実質細胞及び肝非実質細胞の構造と機能、肝幹細胞及び肝の発生と分化、肝疾患と肝構成細胞の病態生理、肝疾患に対する治療法の確立とし、役員は、代表世話人1名、当番世話人1名(学術集会会長)、常任世話人6名(医学系臨床分野と基礎分野各3名)、世話人数十名(入会後5年以上で満67歳まで)、幹事と監事各2名、顧問若干名で、代表世話人の任期は3年と定めた。この会則に沿って、代表世話人は、平成17年に広島大学理学部生物科学科吉里勝利教授が就任したが、平成20年には代表世話人は基礎系と臨床系の常任世話人から交互に選出することに改正されて、同年から鹿児島大学大学院医歯学総合研究科消化器疾患生活習慣病学坪内博仁教授が担当し、現在に至っている。
学術集会は、毎年6月か7月上旬の2日間にわたり行われてきた。当番世話人も基礎系と臨床系研究者が1年交代で務め、プログラムは、特別講演・シンポジウム・パネルディスカッション・口演発表・ポスター発表・ランチョンセミナー等から構成されている。参加者には若手研究者が多く、海外からの発表もあり、近年は優れた研究発表を表彰している。

<肝細胞研究会の課題>

わが国には、医学・医療に係る専門学会や研究会は多数存在するが、本研究会のように、専門分野の異なる研究者が一堂に会し、人体の生理機能や病態の本流となる臓器の仕組みを微細構造に特化して研究し、生命科学の発展に貢献している学術集団は少ない。
第17回までの学術集会における発表内容は、肝実質・非実質細胞の形態・機能・分化・増殖・発癌・細胞死から肝幹細胞へと拡大しており、本研究会が存続する意義はある。運営も、合法的で公正な会則に沿って行われているが、会員年会費と学術集会参加料に依存する経費だけでは不足する。新たな展開を目指すための第一の課題は、医学・医療の未来を意欲的に推進する学術団体として、社会からの研究補助金を取得することであろう。
日本学術会議は、わが国の臨床研究は国際的一流専門誌に掲載される論文数が減少し崩壊の危機にあるとの観点から、昨年6月に臨床医学委員会臨床研究分科会を立ち上げ、臨床研究推進・強化のための基盤整備を含めた対策を求めた。当分科会の全委員は医師で、今も審議が続けられている。大規模臨床試験が少ないことを要因に挙げ、科学研究補助金をそれのみに投入すべきとの意見もあるが、一委員である筆者は、国際的一流誌に掲載される意義は何か、現代では学会英文誌は広く読まれ、優れた論文なら引用もされよう、個々の研究者の情熱的な知的好奇心を守らなければ、わが国から‘将来の夢’は生まれないと主張している。

<肝臓学の展開>

代謝や自然免疫などの中心臓器である肝臓は、代償・再生機能も発達しているが、重篤な急性・慢性肝不全、肝細胞癌、先天性肝胆道疾患などが発症して死に至ることもある。そのため、各病態の進行阻止、肝再生促進、発癌防止・治療に向けて、遺伝子や蛋白質の生化学的過程、生体物質の相互作用、細胞情報伝達網などに関する基礎・臨床研究が積み重ねられ、細胞治療や遺伝子治療、免疫細胞療法も創出され、各種治療の有効性も遺伝子解析によって判明しつつある。肝臓学が向かうべき先は見えている。
しかし近年になり、科学に対し疑問が投げかけられている。要素還元主義で説明できない事象が、物理学・化学・生物学においても多々観察され“複雑系の科学”とされる。要因に‘偶然’や‘ゆらぎ’が挙げられ、真の科学は‘経験性’と‘合理性’を総合して実るものと理解されている。確かに、近代科学の手法は、無限大に存在する森羅万象の中から、科学者が興味のある一断面を切り出して、仮説と論理を組み立て、原因と結果を一対一の関係にあると立証したに過ぎないとも言えよう。
まして医学は、昔から総合科学といわれるが、複雑で多様な人体を研究対象とするだけに、あらゆる科学の論理を活用しても限界があり、経験性を加味しても体系化するのは困難な実証科学で、しかも、人々の内的な心の問題も抱えるだけに奥行きが深い。

<おわりに>

肝細胞研究会は、人体の仕組みを、細胞レベルから、基礎と臨床医科学者の対話により探究し、新たな閃きを得ながら、人類の福祉に貢献している学術団体であると自負する。
会員は、常にマクロ的・ミクロ的な視野に立って、夫々の研究を掘り下げ、肝臓の原点を突くような最先端研究情報を世界に向けて発信するよう努力すべきである。
1999年の「世界科学会議」において、“科学と科学的知識の利用に関する世界宣言”として、「ブタペスト宣言」が発表され、‘科学のための科学’が暗に否定され、‘知識のための科学’に加え、‘平和のための科学’‘開発のための科学’‘社会における、社会のための科学’が“21世紀における科学のあり方”とされた。
理系研究者といえども、人文・社会学的な視座からの教養も高め、‘社会のための科学’を構築するよう“知の醸成”に励まなければならない。

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