研究会概要

肝細胞研究会世話人就任にあたって

立野 知世
株式会社フェニックスバイオ

 肝細胞研究会のホームページの開設おめでどうございます。肝細胞研究会の世話人就任にあたり、自己紹介も兼ねて、肝細胞研究会の思い出や今後の抱負に関して少し述べさせていただきたいと思います。
 私が初めてこの研究会に参加したのは、おそらく1990年頃に札幌で行われた肝細胞研究会の前身の初代培養肝細胞研究会だったと記憶しております。当時私は、企業でラット肝細胞のギャップ結合への発癌プロモーターの影響に関する研究を行っておりました。研究会の内容はほとんど覚えておりませんが、懇親会会場のスズラン香る裏庭には馬が飼われていました。その懇親会行きのバスで隣り合わせとなった肝細胞研究者との出会いが、吉里勝利先生の研究プロジェクトに参加するきっかけとなりました。1993年より吉里プロジェクトで肝臓の研究を始めてからは、肝細胞研究会へは毎年欠かさず出席するようになりました。1996年には、吉里先生が大会会長となられ、第3回肝細胞研究会を広島で開催させていただきました。この会ではアメリカからGrisham先生をはじめ国内の先生方をお招きしたシンポジウムを企画し、私にとって忘れられない思い出となりました。
 私は15年近く肝細胞研究会には欠かさず参加しておりますが、私以外にも、この研究会だけははずさないと思われている先生方も多いのではないでしょうか。その理由を考えてみました。1つはこの研究会の発表のレベルの高さにあるのではないでしょうか。2つ目は、基礎の先生と臨床の先生方が共に参加され、互いに情報交換、議論を交わすことができる場となっているからではないでしょうか。3つ目に議論が活発であることも挙げられると思います。若い研究者でも議論に参加できる暖かい雰囲気の中、私も若い頃から発表・質問する中で諸先生方に育てられてきたと感謝しております。若い研究者も、躊躇することなく積極的に議論に参加されることをお勧めします。最後に学会抄録の締め切りが遅いことも私の中では重要な理由の一つとなっています。
 私は14年間、吉里先生の元でJSTや文科省の研究費で、主に肝細胞幹細胞研究、およびマウス肝臓がヒト肝細胞で置換されたキメラマウスの研究を行ってまいりました。研究プロジェクト終了を機に、今年の4月よりキメラマウスを用いた受託試験を行っている株式会社フェニックスバイオに移籍しました。これまでの研究成果を基に社会貢献をめざす立場となりましたが、研究に対する好奇心や研究への意欲は持ち続け、これまでの研究もさらに発展させていきたいと思っておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
 私が肝細胞研究会の中で諸先生方に育てていただいた様に、若い研究者が毎年楽しみに参加できるような、また若い研究者の成長を育むような研究会を今後も継続できるよう、微力ながらお手伝いさせていただきたいと考えております。

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