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ホットトピックス

Microphysiological Systemの現状と今後

国立研究開発法人産業技術総合研究所
細胞分子工学研究部門
金森 敏幸

はじめに

水口裕之先生を会長として、初めてのオンライン形式で開催された第27回肝細胞研究会において、「MPS(Microphysiological System)への期待」というタイトルで話させていただいたが、その内容を元に、ホットトピックスに寄稿させていただく機会を得た。
MPSについては、横浜市立大学の小島伸彦先生が2018年10月12日に研究交流に寄稿された記事が非常に良くまとめられており、そちらを参照いただきたい。また、筆者も総説を投稿しており[1, 2]、いくつかの学会の会誌で特集が組まれている[3, 4, 5]。それらを併せて読んでいただくと、MPSの概要をご理解いただけるであろう。

MPSの現状

筆者は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の「再生医療・遺伝子治療の産業化に向けた基盤技術開発事業(再生医療技術を応用した創薬支援基盤技術の開発)」[6]の研究開発課題の代表を務める関係で、ここ5年位、国外のMPSに関する研究開発状況を詳細に調査してきた。その内容は、上述の総説等にまとめてある。Covid-19のために、2020年の初頭以降は現地調査ができていないが、その間、MPSの位置付けに関する、非常に有益かつ詳細な総説がいくつか掲載されている。
ベルリン工科大のスピンアウトベンチャーであるTissUse[7]の創設者のUwe Marxの呼び掛けで、t4 (CAAT Transatlantic Think Tank on Toxicology)[8]と呼ばれるclosed meetingが、2年毎にベルリンで開かれている。この会の目的は、MPSの実用化の鍵を握るkeypersonを世界中から集め、意見交換し、white paperとしての位置付けの総説をALTEXに投稿することにある。2019年度に開かれたt4の報告は既に掲載されている[9]。
米国ではMPSに関する研究開発が国を挙げて進められており、その司令塔はNIH(National Institute of Health)の1部局であるNCATS(National Center for Advancing Translational Sciences)[10]である。NCATSは、米国における様々な機関から拠出される国費をテーマ毎にまとめ(Programs & Initiatives)、整理し、有効に分配する機能を担っている。AMEDは日本のNIHと称されているが、筆者が思うに、時の政権がイメージしたのはNCATSであろう。NCATSでは30を超えるPrograms & Initiativesが進行しているが、その中に”Tissue Chip for Drug Screening”がある。2012年に開始されたこのプログラムには総額150億円以上の国費が投入され、2017年に終了し、現在は新たなフェーズに推移している。その背景は、同Programの責任者の連名による総説に詳しい[11]。NCATSは、MPSは既に実用化の段階にあると認識しており、今後はさらに普及させ、産業として根付かせることが重要であるという観点から、IQ Consortium (International Consortium for Innovation and Quality in Pharmaceutical Development)の設立を促した。さらにその中に、主に創薬支援技術としてのMPSの優位性を議論する場として、IQ Microphysiological Systems Affiliateを昨年設立している[13]。そこでの議論に基づき、ユーザー側から見たMPSに求める機能とクライテリアを詳細にまとめた総説が、今年になって立て続けに2報掲載されている[14, 15]。欧州でもEuropean Research Councilの元でMPSに関するプロジェクトが進行しており、そのメンバーによるMPSの実用化の最新状況についての報告が、最近掲載された[16]。その中には、世界中のMPS製品の現状が詳細に記されている。
MPSに関する国内外の対比で最後に是非触れておきたいのは、規制当局の対応である。米国では、MPSに関する研究開発の早い段階から規制当局を巻き込み、情報の共有をはかってきた。その中心人物は、Mendrick (Director of the Division of Systems Toxicology at the National Center for Toxicology Research: NCTR)、および、Fitzpatrick (Senior Advisor for Toxicology, Center for Food Safety & Applied Nutrition: CFSAN)の二人であり、彼女らは前述のt4の常連メンバーであり、また、MPSに関連する学術集会の多くで顔を見かけた。2018年に開かれた学術集会では、Fitzpatrickが中心となってMPSに関するRoadmapを準備中であり、2019年秋迄にパブリックコメントを集め、2020年には刊行したい、と報告していた(その後どうなったか、筆者はフォローしていない)。EMA(European Medicines Agency)は2017年頃まではMPSに関するworkshopを度々開催するなど、積極的な動きを見せていたが、最近は目立った活動が見られない。また、MHRA(Medicines and Healthcare Products Regulatory Agency, UK)は2年ほど前から関連学術集会でプレゼンスを主張し、EURL ECVAM (European Union Reference Laboratory for alternatives to animal testing )等との連携を強化し、organ-on-a-chipに関するwhite paper提出を目指しているとのことである。
一方我が国の規制当局のMPSへの対応であるが、今年度開催された第10回レギュラトリーサイエンス学会学術大会において、「MPSの実用化に向けた規格化を取り巻く状況と今後の課題」をテーマとしたシンポジウムが開かれ、パネリストとして医薬品医療機器総合機構(PMDA)の真木氏が出席され、今後PMDAとしてMPSの研究開発動向を注視していく旨、発言されたと聞く(筆者は不参加)。また、我が国のMPS研究開発の牽引者のお一人である奈良岡氏(幹細胞評価基盤技術研究組合)が講演され、その内容は近々同学会誌に掲載されると聞いている。

MPSの今後 ~ まとめに代えて

 筆者は、所属する機関のミッションから、実用化、ひいては産業化を強く意識しながらMPSの研究開発を実施しており、第27回肝細胞研究会では創薬支援ツールとしてのMPSを中心にお話しした。しかしながら、創薬支援ツールは広い意味では理化学機器であり、市場規模はそれほど大きくない。世界的にはMPSの研究動向はチップ上でのiPS細胞による疾患モデルの再現に向かっているが、そこでは我が国の強みであるiPS細胞の研究成果の応用が期待される。今のところ、創薬支援への応用(創薬プロセスのより上流部でのMPSの活用)が中心だが、筆者は一歩踏み込んで、point of care、precision medicineへのMPSの応用を夢見ている。患者様個々の体細胞からiP細胞を作製し、さらにその患者様を悩ませている疾患のモデルをチップ上で再現して、チップでその患者様に最適な治療法(投薬のみならず、放射線療法や温熱療法など幅を広げて)を見つけ出すスキームである。筆者はiPS細胞には詳しくないが、専門家にお聞きすると、現在の技術を持ってすれば、患者様の体細胞から疾患モデル細胞まで誘導するのに要する時間は、よほど緊急性の高い疾患では無い限り、現実的なところまで来ているとのことである。さらに言えば、何もiPS細胞を経なくても、ゲノム編集などを用いたdirect reprogramingで、体細胞から直接疾患モデル細胞が誘導できる日が来るかも知れない。ここで大事なのは、臨床検査技術は市場規模が大きく、企業も参入しやすいという点である。
 また、産業化を狙わなければ、MPSの応用先はさらに広がる。MPSは細胞の培養環境の精密制御ができるので、培養する細胞の品質向上が期待できる。例えば、脊椎損傷治療用の神経細胞や、ある種の骨髄細胞など、少量では良いものの、目的外の細胞の混入が許されないような系は、MPSチップでの調製が期待される。また、in vivoの現象の理解にも大いに役立つと期待される。そのような例の嚆矢として、MITのBhatiaによる、hepatocyteと3T3の共培養系で、cell-cell interactionが液性因子かcell-cell contactかを明らかにした有名な研究がある[17]。また、biologyにおけるMPSの応用例(書かれた当時はMPSの概念は無かったが)も本のchapterにまとめられている[18]。
 この分野で仕事をしていてよく耳にするのは、「良い細胞が無い」という言葉である。「良い細胞」とは一体どういったものを指すのであろうか?仮に、生体内から全く無侵襲で細胞を取り出すことができたとしても、生体内に置かれていた環境とは全く異なるディッシュやフラスコなどで培養して、生体内と同じ機能が発現するとは思えない。「良い細胞」が無いのではなくて、生体内の機能と同等の「良い培養モデルが無い」のである。我が国では、「良い細胞が無い」の言葉に引きずられ、「細胞ありき」の研究に重きを置き過ぎている嫌いがある。医薬品メーカーの研究開発者や基礎医学分野などのbiologistの皆さんは、是非、この様に培養したらこの細胞にこういった機能が誘導できる、という仮説を提示して頂きたい。「この様に培養したら」については、我々の出番である。

参考文献

  1. Kanamori T., Sugiura S., Sakai Y.: Technical Aspects of Microphysiological Systems (MPS) as a Promising Wet Human-in-vivo Simulator, Drug Metab.Pharmacokinet., 33, 40-42 (2018)
  2. 石田誠一, 金森敏幸:Microphysiological System(MPS)の期待と現状, 日本薬理学雑誌, 154, 345-351 (2019)
  3. 特集「医薬品・化成品開発に求められる細胞・組織・臓器工学」, 生物工学会誌, 95(8) (2017)
  4. 特集「マイクロフルイディクスのDDS 研究への応用」, Drug Delivery System, 34(4) (2019)
  5. 特集「マイクロ流体デバイスからbody-on-a-chipまで」, ファルマシア, 55(5) (2019)
  6. https://www.amed.go.jp/program/list/13/01/004.html
  7. https://www.tissuse.com/en/
  8. https://www.tissuse.com/en/news/altex-t4-report-2020-mps-stakeholders-are-all-pulling-in-the-same-direction/
  9. Marx U., et al.: Biology-Inspired Microphysiological Systems to Advance Patient Benefit and Animal Welfare in Drug Development, ALTEX (2020), doi:10.14573/altex.2001241
  10. https://ncats.nih.gov/
  11. Low L.A., Tagle D.A.: Microphysiological Systems (“Organs-on-Chips”) for Drug Efficacy and Toxicity Testing, Clin.Transl.Sci., 10, 237-239 (2017)
  12. https://iqconsortium.org/
  13. https://www.iqmps.org/
  14. Peterson N.C., et al.: Application of Microphysiological Systems in Biopharmaceutical Research and Development, Lab Chip (2020), doi: 10.1039/c9lc00962k
  15. Fowler S., et al.: Microphysiological Systems for ADME-related Applications: Current Status and Recommendations for System Development and Characterization, Lab Chip, DOI: 10.1039/c9lc00857h
  16. Ribas J., et al.: Microphysiological Systems: Analysis of the Current Status, Challenges and Commercial Future, Microphysiol Syst. (2020), doi: 10.21037/mps.2018.10.01
  17. Bhatia S.N., Yarmush M.L., Toner M.: Controlling Cell Interactions by Micropatterning in Co‐cultures: Hepatocytes and 3T3 Fibroblasts, J.Biomed.Mater.Res., 34, 189-199 (1997)
  18. Bhatia S.N., Yarmush M.L., Toner M.: Micropatterning Cells in Tissue Engineering, In “Tissue Engineering Methods and Protocols”, pp. 349-363, Humana Press, 1999

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